1月17日 東遊園地(三宮)  
  
  
  28年前のこの日は、朝残業のため、家を始発で出て会社に行った日。
  でがけに関西の方で大きな地震があった、というようなニュースが流れていたか、、ぐらいであった。
  当時、本社勤めだった東京の職場で仕事をしていると、朝の7時半頃、職場の後輩から電話があり、今日は休みをとらせてもらい、急ぎ実家に帰りたい、との連絡であった。どうやら家が長田区で、連絡がつかないらしい。
  この頃は、大きな地震があり、被害が出ていることは分かっていたが、まだどれくらいの被害なのか、についてはよくわかっていなかった。
  新幹線は大阪まで走っている、とのことだったので、休暇取得することは伝えるから、動いているうちにすぐに向かった方がいい、とアドバイスして電話を切った。
  
  
  この日、被害の全貌がわかってきたのはだいぶ後であった。
  その日の夕方か、夜だったか、後輩から、大阪から先の交通手段が全て止まっていたが、どうにか実家にたどりついたとの連絡があった。
  自宅は全壊、しかし、奇跡的にコタツと床の隙間の空間が、ご両親の命を守ってくれた、と報告してくれた。
  
  
  そんな一日であった。
  
  
  祖父が亡くなり、少しづつ動き始めた交通機関で西宮に向かったのもその年、あるいは翌年だったか、、
  
  
  まだ環境アセス関係の仕事を主にしていた頃、なんとなく心がざわついていたのを覚えています。