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東遊園地

1月17日 東遊園地(三宮)

28年前のこの日は、朝残業のため、家を始発で出て会社に行った日。
でがけに関西の方で大きな地震があった、というようなニュースが流れていたか、、ぐらいであった。
当時、本社勤めだった東京の職場で仕事をしていると、朝の7時半頃、職場の後輩から電話があり、今日は休みをとらせてもらい、急ぎ実家に帰りたい、との連絡であった。どうやら家が長田区で、連絡がつかないらしい。
この頃は、大きな地震があり、被害が出ていることは分かっていたが、まだどれくらいの被害なのか、についてはよくわかっていなかった。
新幹線は大阪まで走っている、とのことだったので、休暇取得することは伝えるから、動いているうちにすぐに向かった方がいい、とアドバイスして電話を切った。

この日、被害の全貌がわかってきたのはだいぶ後であった。
その日の夕方か、夜だったか、後輩から、大阪から先の交通手段が全て止まっていたが、どうにか実家にたどりついたとの連絡があった。
自宅は全壊、しかし、奇跡的にコタツと床の隙間の空間が、ご両親の命を守ってくれた、と報告してくれた。

そんな一日であった。

祖父が亡くなり、少しづつ動き始めた交通機関で西宮に向かったのもその年、あるいは翌年だったか、、

まだ環境アセス関係の仕事を主にしていた頃、なんとなく心がざわついていたのを覚えています。





近所の鹿島神社

1月1日 近所の鹿島神社

誰も起きてこない正月は、毎年、近所の鹿島神社に犬と初詣。
まあ、今年もこんな感じですわ。





大山こま

12月30日 大山こま

お正月の定番といえば、凧揚げに独楽まわし。
近所の公園では、この時期、けんか独楽で遊ぶ小学生たちでにぎわっていたのが普通だった昭和の頃。
私も小学3年生ぐらいから、上級生に混じって遊んでいたかな。近所の文具店や駄菓子屋で、高いもの(大きめのコマ)でも数百円で売っていた時代。

そんな大山こまを買いに大山登山口の参道までちょっくら行ってきました。

当時は大山こまのヒモは麻ヒモでしたが、いわゆるヒモを編んだものに変わっていました。
この独楽を作る職人さんも数人しかいないとのこと、さみしいかぎりです。


麻ヒモの大山独楽(10年以上前に買ったコマのヒモは、まだ麻ヒモでした)


今のヒモと大山独楽



ゲイラカイト

12月25日 ゲイラカイト

クリスマスの日、ゲイラカイトが届きました!
似たようなタコが普通に売られている今、まだゲイラカイトがあることがたいへん驚き。
しかも、当時のまんま、、、

私は黒い方を持ってました!

さて、どうしようか







合言葉はラーク?

12月15日 懐かしい看板(松山市内)

懐かしい看板を見つけました。
と、その下に、喫煙禁止の貼り紙!

昔、この場所に自動販売機があったのでしょうか、よくわかりませんが、今ではこの場所は喫煙禁止なのですね。

いや、昔はここに灰皿が置いてあったのかもしれず、ひょっとして憩いスポットだったのかも、、

なんだか似たようなことって、、あれこれと想像してしまいます。










昭和の風景

11月9日 昭和の風景

昭和の風景を発見しました。
食堂はもうやってないみたい。
ショーケースには、どんなにわくわくするメニューが並んでいたのでしょうか、、、

城北公園通駅近くの風景





マルガモ(毛馬)

7月20日 マルガモ(毛馬)

在宅業務終了後の運動不足解消ラン、いつもの淀川管理用道路を走っていると、夕方少し遅い時間だったこともあり、カルガモが数羽、陸に上がったところで羽根を休めていました。

よく見ると、、、
マガモっぽいのが、いる。

以前、春になっても渡らないマガモ、として見えたのは、ひょっとして君かい?

マルガモ

たぶん君だね。





今日の日はさようなら

4月28日 今日の日はさようなら

こっそり準備を進めていたのですが、コロナ禍のため使わずじまいとなりました。仕方ないですね。

せめて気持ちだけでも。


なんかいる?(淀川河川敷)

4月15日 なんかいる?(淀川河川敷)

在宅勤務終了してから、ちょっと軽く運動しに淀川河川敷へ。
赤川鉄橋付近で夕焼けの携帯写真を撮っていたら、あれ、なんかいる?

多分イタチですね、、








ガムのおまけ(A-10)

3月2日 ガムのおまけ(A-10)

ガムのおまけのA-10にちょっと気合を入れてみました。
仮組みして組み立ててみたのですが、キャノピーだけ確認し忘れ。
操縦席が曲がってついていてうまくはまりません、修正加工が必要です。

まあ、おまけだからね!


赤磯じまん?

2月22日
磯じまんの社屋看板が赤い!
今までまったく気づきませんでした。
緊急事態宣言中だから?

来週、色変わっているかどうか楽しみになりました。




みんなの歌60

きたかぜこぞうのかんたろう、今時の携帯だと、北風小僧の勘太郎?みたいな変換。
寒太郎ですね。

小学生の頃、学校の放送で頻繁にかけていた歌。パンのマーチと同じぐらいかな。

懐かしい、みんなのうた。
古い歌が聴ける、そんな企画があるのですね!
びっくり。
※堺正章さんが歌っていた、というのも新発見。






もう26年たつのですね(阪神・淡路大震災)

1月17日

年度末で多忙この時期、あの日は始発で会社に行って仕事していました、出がけのニュースで関西の方で大きな地震があったことを報道していましたが、その時は状況がほとんど分からず、ほとんど気にせず家を出て会社に急いだことを記憶しています。
会社について、仕事をしていると、朝の7時前後だったしょうか、会社に電話がかかってきました。えらい早い時間にどうしたのだろう・・と思いながら電話にでてみたら、当時新入社員だった後輩からの電話。自分の実家と連絡がとれないので今から帰省したい、との連絡でした。

大きな地震だったことは分かっていましたが、まだ地震被害の状況がほとんど分かっていませんでした。
会社に報告しておくから直ぐに帰省してご家族の安否を確認した方がよい、新幹線はとれるのか?、など、やりとりしたのがつい昨日のことのように思い出されます。
携帯電話もインターネットも普及していない頃のこと。

それから26年もたったのですね。
以降、いろいろなことがあり、技術も制度も、インフラも整備が進んできましたが、同時に、薄れていくこと、忘れてしまったことも多いのではないか、感じています。
いざという時に行動できるよう、備えよ常に。
子供の頃は意味がよく分からない言葉でしたが、この年になり、いろいろと気づかされます。


うちの子

8月21日 うちの子

もう少しで9歳になるうちの子、かわいいんだけど、同い年ぐらい、私の年齢とクロスして先に行ってしまうんだ。






今日の大阪タワーの周波数

7月4日 
118.10がなんで入らないの?
ケーブル断線したか、と思ったら、大阪タワーの周波数が126.20で運用されています。




二学喫茶のカルボ再現?

6月19日
1986〜1991年の間、筑波大でお世話になりました。当時の第二学群にあった喫茶のカルボナーラが好きでよく利用していました。
果たしてカルボと言えるのかよくわからない一品なのですが、それなりに美味い!

古い記憶を頼りに再現してみましたが、見た目、味付けともそれなりに近い気がします。
ただ、喫茶の麺は、茹でたてを和えて作るのではなく、まとめて茹でたものをしっかりと炒め直す工程が入っていると思われます。
今回は茹でたてを炒めたものの、いまいち炒めた麺の感じが再現できませんでしたが、こんな感じの食べ物でした。

懐かしい。





部分日食

6月21日 部分日食

針穴カメラの要領で日食を狙いましたが、いまいちでした。
出張移動中、公園ベンチでカバンの中に入っていた身の回りの材料で作ったから、ということにしておきましょう。

試しに太陽を携帯カメラで撮りましたが、これもうまく撮れず。なんとなく歪んでるようにも見えるのは気のせいでしょうか。
と、よくみると、ゴーストがしっかり欠けてました!






浅野中学校、母校の校歌

学生時代は、歌うより吹く方がほとんどだったのであまり歌詞にはなじみがありませんでした。
すごく骨太な歌詞だったことに今更ながら気づきました。
(MP3の音付き)

浅野中学校 校歌

一、 南に海原西には高嶺
天与の眺め尽きせぬこの地
飽くまで明るき子安の里に
礎固き我等の学校
我等の踏む丘その名打越
我等は百難打越し行かん

二、 我等の仰ぐは寿像の姿
強健の身体力行の態度
九転十起にわれ世を経んと
額に示す自立の心
我等の踏む丘その名打越
我等は百難打越し行かん

三、 我等の戴く勝利の冠
勝利は道を正しく進み
為すべき務めを為したる果に
身を立て道を尽くして後に
我等の踏む丘その名打越
我等は百難打越し行かん

作詞:高野辰之
作曲:信時 潔

音声はB♭TP 室内練習用ミュート使用

久しぶり?の逆ラン(伊丹空港)

5月31日
伊丹空港は、午後から逆ラン運用でした。
ランウェイチェンジしてすぐの着陸接近機がいて、アプローチからタワーとの交信に受け渡された際、タワーには32側の着陸をコールしていました。アプローチでは、まだ32と案内されていたのでしょうね。

この日はランウェイチェンジ直後のアプローチ、タワー、着陸機のやりとりを聞くことができました。

その後、19時過ぎまで14運用でした。


マスクが届きました

5月17日 
政府が調達してくれたマスクが届きました。
素直にありがとう、というところから、今後のことを、このマスクとともに考えたい。